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宝暦14年(1764年)に創業した畳表仲買商の菊屋を前身として、明治20年(1887年)に城口商店を創立。その代表として、城口栄次郎就任。 栄次郎18歳の時。父喜平治のあとを継いだ兄千代治は、肥料や米の投機にまで手を拡げ、度胸の良い商売人だと評判をとっていた。 しかし、米相場に失敗して夜逃げ同様に北海道へ渡った。 栄次郎はなにがなんでも城口家を再興しなければならないと一念発起し、働きに働き続けた。 当時の街道を隔てて笹ヶ瀬川の河川敷に高床の倉庫が二棟あり、大変繁昌していた。倉庫から若い衆に担ぎ出された畳表の束を積み上げた馬車が岡山市内、早島、倉敷、総社などへと運ばれていった。 栄次郎は晩年、城口銀行といわれる程に成功し、かなりの資産を残していたが、なかなかの倹約家でどちらかといえばケチで通っていた。 栄次郎55歳の時、その四男・亮之助に商売の一切を譲り、昭和18年(1943年)69歳で亡くなる。 遺言として、金壱万円を当時の白石村長へ寄付を申し出た。 当時の村会議員など多くの方から大変喜ばれ感謝された。 |
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