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![]() 戦後間もない妹尾駅前 (大正十年頃) |
終戦後、亮之助は、妹尾の浅越機械製作所の社長・浅越助五郎氏から、「是非来てくれ。最高の待遇で迎える。」と懇願され、勤めることになった。 戦前の浅越商店は藺製品界のナンバーワンといわれる実績を残していたが、戦後の商売は戦前ほどではなかった。 この間インフレが進み、月給だけでは飯が食えなかった亮之助は、ある日社長に「月給を3倍に上げてくれるか、内職を認めてくれるか。」と強談判に及んだ。結果、内職が認められ、勤めのかたわら同じ藺製品を昔の得意先へ送ることができ、生活も一息つくようになった。 荷物は庭瀬駅から発送し、浅越の荷とは絶対に区別していたが、「城口は今日庭瀬の駅から何個出しておった。先日は何個出した。」と噂が広がり、亮之助は退社させて欲しいと申し出た。 しかし、社長や他の皆から熱心に引き止められ、代わりを推薦しできるだけ応援するという条件で引退することとなった。 亮之助がこのように浅越社長から信用されたのは、藺製品統制組合時代に理事であった浅越社長から藺製品移動の依頼を受け、奔走の結果、目的が達成されたことによるものが大きい。 御礼だといって金一封を持参されたが、「組合の仕事としてやったのだ。組合から月給を貰っているのでそんなものは受け取れない。」と固辞したことが、強く社長の頭の中に残っていたのかもしれない。 |
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